こんにちは、株式会社ネッコス代表の井口です!
2019年4月に会社を立ち上げてから2025年で7期目に突入します。
立ち上げ当初は、社会がこんな状況になっているなど一ミリも想像していなかったのですが、そもそも自分が起業することになるということも、若かりし頃の自分は少しも想像していなかったと思います。
これまでnoteやTwitterで自分自身の考えなどを発信してきましたが、肝心の起業に至るまでのストーリーが語られてこなかったので、今回は私の起業ストーリーをマンガにしてお届けしようと思います。
いつも天真爛漫で明るく、元気のある人間だと自分でも自負しているので、これまでの歩みについて話す時は、いつも「え!?そんなことがあったように見えない!wwww」と笑われてしまいますが…(笑)
よろしければ最後までお付き合いください!
目次
- 私の社会人第一歩目は「体操教室の先生」
- 月給2万で過労死寸前の退職
- 突然の事業部長で結果を残せたことが自信に
- 結婚、そして出産。遠く離れた会社の危機
- 夫のうつ病、子育て、会社の問題…心が押し潰されそうな時
- 一難去ってまた一難!「会社ってこうやって潰れるんだな」
- 独りじゃない!起業というチャレンジ
- 最後に
私の社会人第一歩目は「体操教室の先生」
今でも私の過去を知らない人に話すと驚かれるのですが、私の社会人としてのスタートは「体操教室の先生」でした。
昔から体を動かすことが好きで、結婚するまではトライアスロンもやっていたほどの運動好き。体育大学に入ったのも、子供たちに運動の楽しさ・素晴らしさを教えて、一緒に体を動かすことを楽しんでほしいという思いからでした。
ですが、初めての社会人で丁度いい手の抜き方を知らなかった私は、毎日毎日全力で仕事をしていました。それも全くの自覚なしです。
今思うと、毎日終電まで残業し、ほとんど寝ずに翌日の仕事へ向かうサラリーマンのような働き方をしていたので、若くなかったらとっくに死んでいたと思います。
そのような働き方を続けた結果、私は過労で倒れてしまいました。しかも、月給2万円で退職することになったのです……これはとんだブラック。
月給2万で過労死寸前の退職
体操教室を退職した後は、肉体的な疲れはもちろん、
「2年程度しか続けられなかった…」
「自分がどんなに頑張っても、得られたものは少なかったような…」
と、心にぽっかり穴が空いたような喪失感でいっぱいでした。なので、次の職探しもあまり気乗りせず、ガツガツ就活を行うこともしませんでした。この時、ニートの私を置いてくれた実家には本当に感謝しかありません。
そして、ここで出会った「職業訓練」が今の私の仕事の幅を広げてくれたように思います。あのまま実家でぬくぬくと何もしていなければ、ずっと状況は変わらなかったかも知れない……自分を変える、今を変えるには「行動」しかありませんでした。
突然の事業部長で結果を残せたことが自信に
職業訓練校に通い自信がついた私は、とあるEC通販事業社に入社しました。これが私が起業する前にいた会社で、最終的には10年近く在籍することになります。
この時は2名という小さな規模で、1人1人にかかる責任の重さや業務量も大きかったと思います。そのため、深夜まで残業したり、4時間超えの会議を行ったりすることもありましたが、その分やり甲斐も感じていました。
また、体操教室の先生時代からコミュニケーションを積極的に取り、チームを作り上げていくことに慣れていたため、慣れない事業部長というポジションながら、従業員を増やしつつ、事業の拡大が出来たのだと思っています。
私一人では成し遂げられないことをチーム一丸となって達成できたということは、私にとって初めての経験で大きな自信となりました。
結婚、そして出産。遠く離れた会社の危機
30代半ばまで仕事一筋で爆走してきた私でしたが、運良く今の夫と出会い結婚しました。そしてまもなく妊娠。
産休・育休の間、会社を離れることに一抹の不安を抱えながらも、これまで傍で支えてくれた職場のメンバーのことを思うと、信頼して任せようという気持ちに。
しかし、現場のことを熟知していない社長と他のメンバーとでちゃんと事業が回っていくのか…そればかりが気がかりでした。
結局、産休に入っても他の社員は社長の意見では不安(ではダメなんですけどね)ということで、各社員から私へのSlackは4月3日まで(4月4日が出産日)鳴り止むことはありませんでした。
これまでも、会社にとっていちばん大切なのは「人」だという思いから、頻繁に個人面談をしたり、丁寧な評価をしたりと、1人1人の事情を汲みながら、それぞれのパフォーマンスが最大限発揮できるようにしてきたつもりだったので、そばで顔を見て話せないことは本当に不安でした。
それでも、遠隔で仕事の相談や決定だけでなく、社員それぞれの生活面・精神面の相談をし続けていましたが、相次いで退職の連絡が来た時は、自分の無力さと大切な仲間を失ってしまったというショックでいっぱいでした。
夫のうつ病、子育て、会社の問題…心が押し潰されそうな時
鬱病は誰にでも起こりうる身近な病気です。
私もギリギリまで前兆には気が付きませんでしたが、夫も子供が生まれ、生活環境などの変化が引き金になったようです。
鬱病には心の休息が必要なので、とにかくゆっくり休むように言いました。その時、私はまだ産まれたばかりの娘にミルクをあげながら、社長や部下と電話をし、一日中家庭のこと、仕事のことで全く余裕がありませんでした。
そんな中、
こんな時に私を救ってくれたのは、やっぱり筋肉でした。
心と身体は本当に繋がっていて、身体の元気がないと心もネガティブになっていきます。反対に、心に元気がなくても身体に不調が現れます。
この時は、ただぼーっとしていると突如として暗い思考になってしまいそうで、「もう無理かも。」「なんでこんなに辛いの…」という言葉が口から出る前に、ただひたすら体を鍛えました。
文字にすると馬鹿みたいに思えますが、体操教室の先生時代から、トライアスロンやバスケットボールなど様々なスポーツを経験し、体を動かすことの心地よさ・楽しさ・嬉しさを体がしっかりと覚えていたんですよね。
運動することは楽しいだけじゃなく、過酷で苦しいことも多いです。だけど、それを乗り越えての楽しさを知っていたので、スポーツを通してのメンタル強化も出来ていたのかな?と思います。
とにかく、腹筋で暗い気持ちを吹き飛ばせて、本当に良かった~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!
一難去ってまた一難!「会社ってこうやって潰れるんだな」
夫も無事鬱病を克服し、さて仕事復帰だ!と思ったときには、時すでに遅しでした。
戻った会社は全く覇気がなく、事業の数字も大幅に落ち込み、社員はすでに激減している状態。
この時一番つらかったのは、これまで頑張って事業を拡大してきてくれた大切な社員に、私と社長から直接解雇通知を渡すことでした。
会社が立ち行かなくなったからには解雇はどうしようもないこと……分かってはいても、今まで一緒に働いてきた時間や成果がすべてなかったことになりそうで、本当に悔しかった。
私は、最後まで一緒に働いてくれたメンバーだからこそ出来る仕事があると思っていたし、そのメンバーだからこそ作り上げてきた成果に価値があると思っていました。
だから、こんなことで解散になって簡単にはもう一緒に働くことが出来ないと考えたら、無理だと言われるようなことでもして、また同じメンバーを集め直してやる!と本気で心に誓ったのです。
独りじゃない!起業というチャレンジ
結果的に30代後半で起業することになった私ですが、起業家としては異例の「仲間を大量に引き連れた起業」になりました(笑)
他の起業家さんや付き合いのある会社からも、「普通連れて行くにしても2~3人くらいじゃない?10人以上なんて…」と苦笑いされましたが、私は”独りじゃなかった”からこそ、新たな挑戦が出来たのだと思っています。
最後に
今の会社は設立1年と生まれたてホヤホヤですが、社員と私の付き合いは5年~12年。
私としては、仕事を通して社会貢献していきたい、自分自身も大きく成長していきたいという思いはもちろん、前職からの流れで大切な社員みんなと一緒に働きたかったという気持ちも起業に至った理由の一つです。
1人1人のスキルに共感や尊敬があって、みんなのスキルが形になるのを見たかったし、みんなのスキルが好きでした。
私の大切にしている社員1人1人のスキルを活かして売上が最大化することが一番理想とする形なので、今何を優先するかと言えば、そこをぶらさず保てるようにということを最優先に、意思決定をしています。それはずっと変わりません。
自分が知っているメンバーで一緒に達成したい。
この会社で何がしたいのかといえば、知っているメンバーで1つの達成を得ること=自社プロジェクトを持つことですし、ネッコスとしての個性をもっと出したいと思っています。
ネッコスとして一番やりたいことは、自社プロジェクトに好きなスキルを持つメンバーたちの個性を出して成功することなので、私の夢はまだ道の途中。
それでも、これまでの数々の困難をそばで一緒に乗り越えてくれた仲間たちとなら叶えられると信じています。
まだまだ成長途中のネッコスですが、これからも社会貢献のために走り続けていきます!
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